ミセス・パッパラのシラフの日常

35歳で始めた禁酒をきっかけに、映えないけど光さす日常を満喫中

35歳に禁酒を始めて新たな人生を謳歌している中年ワーママが映えないけど満足した日々を綴ります。

だから私は日本の政治について本気で考えてみた〜その弐 そもそも「日本の政治」ってなにを指す?〜

布マスク配布ニュースをみて、「政府は何を考えてるんだ!?」というときの政府とはなにか?

 

立法、行政、司法という3権のうち、「行政」を表す部分で、内閣と内閣が総括する中央省庁で構成されている、というのが一般的。(立法、行政、司法の3権含めて広義の政府ということもある。)

内閣は総理大臣と総理大臣から指名された国務大臣で構成され、各省庁のトップは国務大臣で、その下に同じく国会議員である副大臣、政務官がいて、その下に官僚トップの事務次官がつく。

総理大臣は、国会議員の議決で指名される。短記記名投票で、過半数を占めた者が選出される。だから、議席数の多い与党自民党の、総裁が多くの場合総理大臣になっている。

 

ということで、これから政治を考えるにあたっては、国会議員で多数の議決を得て総理大臣になる存在と押し上げるグループ(回りくどくいったけど、今現在の日本で多くの場合は自民党)とその論理(つまり、自民党の論理)、国会議員が選ばれる選挙制度、内閣と各省庁の関係、内閣&中央省庁で構成される行政権が実際にどう行施されて私たちの生活に関わっていくのか、他の2権(立法権である国会と司法権である裁判所)の関係、あたりをみていく必要がある。

 

(ここからは興味がある人だけ読んでください。)

ちなみに、日本の政府は、上記のような国民の選挙で選ばれた議員からなる議会よって更に選ばれた内閣総理大臣によって組成された内閣を政府とし、内閣と議会が互いに不信任案と解散権をもって牽制し合う議員内閣制だけど、世界では他にも政治体制はある。例えば、大統領制。アメリカが代表例。

大統領は行政、議会は立法、裁判所が司法を担当する。日本の議員内閣制と異なるのは、大統領は議員でなく、選挙で直接選ばれ、議会と完全に独立していること。大統領は国民にのみ責任を負い、議会には大統領の不信任権限はなく、大統領にも議会の解散権はない。国民の間接選挙によって選ばれた大統領が、行政権に絶大な影響を及ぼす。まあ、アメリカ民主党のバイデン大統領も、民主党内の融和に苦慮、とか、議会の民主党の議席がどうなるか、みたいなことが話題になるくらいなので、完全になんでも決められる、というわけではないのだろうけど、日本の内閣総理大臣が与党内で決められ、党全体の意向とか党内のドンの顔色を伺う、という状況に比べると、選挙で直接選ばれたアメリカの大統領はもう少しリーダーシップを発揮しやすいのだろう。

 

議院内閣制、大統領制以外には、フランス、ロシア、韓国、インドのような大統領がいて、首相もいるような半大統領制(ただし、国々によって大統領と首相のパワーバランスは違う)。中国共産党のような一党独裁体制(党は共産党しかなく、三権全てを共産党が掌握)など。

 

少し調べてみると、大統領制でも国の成り立ちによって事情はそれぞれ、かつ制度も変わったりして、各国の政治体制の詳細に突っ込むと結構な沼なので、一旦ここは離れてその参からは日本の政治の話に戻ります。

 

とにかくアジの刺身が好きである

好きな食べ物はなにか、と聞かれると色々思い浮かぶ。

「オムライス、ピザ、パスタ、寿司、唐揚げ、コロッケ、じゃがりこ、お好み焼き、チョコレートあたりかな」と。

そして、思う。

「あれ、でもこの中で一番好きな食べ物ってなんだろ。全部好きだけど飛び抜けて好きなものはないな。」

そして、存在を思い出す。

「ああ、私がなんだかんだ一番好きなのは、アジの刺身だわ!結局これが一番美味しいんだわ」と。

そう、私はアジの刺身が大好きだ。寿司は好きで、マグロもイクラもウニも大好きだが、結局アジを食べた時が、一番「ああ、美味しい。」となる。

 

あの、ネットリとした食感、サンマ・イワシほど青魚青魚していない、でも白身魚ほど淡白でもない程よい上品な濃厚さが好きだ。

新鮮なアジの刺身も美味しいのだが、スーパーで少し日が経ったアジ刺も程よい濃厚な香りが強まって好きだ。

 

先日、葛西臨海水族館に行った。そこに、「アジは今後も永続的に漁獲量が保てる見込み」的な記述があり、とても嬉しかった。こんなに大好きな天然の食べ物がこれからも安定的に食べれるなんて。

 

さて、2回目の緊急事態宣言が出され、私も数ヶ月完全在宅勤務で黙々と仕事を行い、それ以外は家事育児であっという間に過ぎる日々を過ごしている。酒飲み時代、あんなに好きだった夜の街には全く行っていない。

年末年始休みからの1月の勤務は、なんだか疲れた。なんだか今週は年明けからの疲れの蓄積で余計に疲れていて、夕飯全く作る気がしない、という日があった。でも「私が作らないで誰がかわいい子供達のごはんを用意できるんだ!」という状況だったので体を引きずるようにスーパーに行った。

そこで目にした、アジの刺身、1パック390円。いつもよりパックに沢山入っていて、沢山並んでいて、新鮮そう。そうだ、私にはアジ刺がある!私は夢中で、1人1パック(大人1パックx2、子供1/2パックx2)の分量で3パックカゴに入れた。

予算的にいつもならアジの刺身は1パックで、他にもう1パック刺身を買う、何か惣菜を買う、という感じで、自分のアジ刺推しを全面的に反映した食事は作らないのだが、とにかく疲れているのだから仕方がない。疲れているのだからこの私が優先だ。

アジ刺を見つけた時点で、自分の中で俄然本日の食事への創作意欲が湧いて、家に帰って在宅勤務のかたわら、温泉卵を作り、刺身にかけるアジの叩き用のタレを作った。

そう、いつもは遠慮しているアジ刺を、ごはんが足りないくらいの配分でたっぷり載せて、温泉卵&たたきのタレを絡めた特製アジ刺丼を作ることにしたのだ。

こんなに大好きなメニューにも関わらず、驚くほど簡単である。ホットクックに水と卵を入れて、温泉卵メニューを選択してスイッチオン、無洗米に水をセットして、スイッチオン、クックパットで出てきたタレのレシピ通りに生姜、砂糖、醤油、お酢を混ぜ合わせる。しめて10分もかからない。

あとは、食べるときにセルフでアジ刺をのっけて食べればいい。

憂鬱な夕飯作りが、アジ刺しのおかげに、一気に大好物を贅沢食できるという素晴らしい楽しみに変換された。

家族が帰ってきて、皆でしみじみとアジ刺しを食べる。大人たちはごはんに好きなだけアジ刺しをセルフで載せ、温泉卵と特製ダレをかけたアジ刺し丼に、子供達はめいめいに皿にアジ刺しを入れて、食べる。

しみじみと、美味しさを噛み締めながら、食べる。

考えてみたら1パック390円、自宅ご飯の食材の1人分としてはやや高いけど、温泉卵を入れても一人前500円もかかっていない。

それなのに、こんなに大好きなアジ刺しが満足いくまで食べられ、自宅の落ち着いた雰囲気で食べられる幸せ。そして子供達もアジ刺しが大好物になり、美味しさを共有できる幸せ。

あに、これ以上の食の喜びはあらんや。

年明けの自粛&仕事はじめの疲れを少しだけ和らげてもらった食卓であった。

 

 

 

 

独身時代の私とワーママ時代の私で、仕事への姿勢はどう変わったか

結論からいうと、変わらない。ただ、時間の希少性が増したことで、より効率よく、そして気が進まない仕事、締切やto doを守らない関係者へのストレスが増し、より自分が求める仕事への探索欲が増した。

より、自分が関わる仕事の内容を精査したくなる欲(貴重な時間を使うので選り好みしたい欲)が増した。

 

人によってはこの姿勢を、育児によって仕事に対する意欲が欠如するようになった、と誤った見方をすることもあるのだろうが、そうではない。

仕事をする時間が唯一自分が一個人として社会と集中して関われる時間であるからこそ、その時間の質を求めるようになっただけなのだ。

 

だからこそ、無駄だと思う仕事はやりたくない、やり方がわかっていて作業に分類される仕事はやりたくない、結論がみえているのに、無駄な会議に時間を使いたくない、ついでに貴重な時間を奪う人には非常な怒りを覚える、という意識になる。

もちろん、これには個人差があるので、私がそうだからといって皆がそうではないし、もっと大らかにやっている人は沢山いる。

ただ、安易にワーママだから大変でしょ、といって本人の資質に合わない業務を行う仕事量の少ない部署に異動させることは、私のようなタイプにとっては貴重な仕事を有意義に使いたい、という思いと相反し、その人の能力を活かしきれない可能性がある点には世の人事担当者には留意してもらいたい。

マミートラップは、従業員側が時間的に育児との両立が難しくて何かと手を上げにくい、能力を発揮しきれない状態が続く、という側面から発生するだけでなく、企業側がより仕事時間の希少性が増した従業員側の背景や希望を汲み取ることなく、「短時間でも問題ない」業務に母親を割り当てる、という側面から発生するケースも多いはずだ。

育児家事の時間をやりくりしながら数々のタスクをこなすワーママであれば、本人の希望にかなった業務であれば(そうでなくとも)意欲的にかつ非常に効率的にやりくりし、定時勤務であっても、毎日飲み歩いて二日酔いのまま出勤し、時間だけは大量にあるぶらさがり社員(全てがそうではない)の数倍の生産性を発揮していくだろう。

コロナ 渦もそろそろ1年、テレワークも珍しいものではなくなり、日本人の働き方も大きく変化しようとしている

そろそろ、長時間労働=よく働いている、忠誠心がある、仕事を任せられる、という考えはやめて、いかに意欲的に生産性高く働いているか、いかに個々の従業員の資質に応じて意欲的、生産的に働ける環境を用意するか、ということを各企業は真剣に考えた方がいいだろう。

とはいえ、貴重な時間を使うのにふさわしい仕事ってなに?という部分は難しい。もはやそれは企業で従業員として働く中で存在するのか、とか本当の私はなに?といった自分探しの領域にも入る気もするので、まずは「やっていて嫌ではない仕事、そこそこいい気分でできる仕事」で家事育児のいい気分転換になるような仕事、くらいで考えていくのがいいのだろう。

日常で感じるちょっとした疎外感と居心地の悪さについて_馴染みの店とは

私は、中年にもなって少し痛い自意識を持っている人間なんだと思う。人と接することに苦手意識がありながら、人と親しくしたいという気持ちは持ち、でもどうにも直せない自己中心的かつ気の利かない言動で、接する人に違和感を与え、その違和感を感じた相手の表情を機敏に感じて、また失敗してしまった、ああ、やっぱりダメだ、と勝手に落ち込む。いや、そもそも相手は自分のことなんて全く眼中にもない可能性もあり全てが妄想なのかもしれない。それなのに勝手に自分が相手の中にある自分自身の存在を過剰評価してしまっている。どっちが本当かわからない。どっちの可能性も考えて、結局自分だけがいつも空回りしているように感じる。だから一人がいいと思うけど、人恋しい、そんな痛い自意識を持った映えない中年だ。

なので、よく人とのコミュニケーションにおいて疎外感を感じる。勝手に感じてしまってすみません、という感じなのだけど。

コロナ渦による在宅勤務の開始で、近所のお店を開拓する機会が増えた。近所を散策すると、魅力的な個人経営のお店が多く、在宅勤務が1年近くともなると、気に入ったお店を大体ローテーションしていくような形に落ち着いてきた。

お店の接客スタイルも様々であるが、大体は、毎回ランチ一人利用ということもあって、「いらっしゃいませ」「1名です」「すみません、○○(メニュー名)お願いします」「ごちそうさまでした。」「ありがとうございます。(接頭詞に「いつも」がつく場合もあり、そのときは内心嬉しくなる)」というような礼節のある機会的なやりとりに終始する。

一方で、来店の度に非常にホスピタリティ豊かに接してくれる場合もある。

例えば、1週間〜10日に1回程度の頻度で行く夫婦で経営する大変美味しい洋食店があるのだが、フロアを統括する奥様が非常に高い記憶力を武器に、プロフェッショナルなホスピタリティで毎回迎えてくれる。これは、私にだけでなく、来店する全ての客に対してである。どんなに忙しくても、すべての客に対して毎回、食事が終わり、客が店を出ていく時には、出口にたって、「ありがとうございました。寒いですから気をつけて帰ってくださいね。」などと、一言二言コミュニケーションを取って送り出してくれる。

こういった素晴らしいコミュニケーションと料理自体が美味しいお店なので、常連客もちらほら見受けられる。

常連客の中には、釣り銭に困らないように10円を毎回多めに持ってくる人、気安く世間話をして場を沸かす人、ディナーにも頻繁に顔を出し、諸々貢献している人、などただのたまに食事を食べる客以上に店に貢献をしている客も多い。

そして、本心はどうかわからないが、そうした常連客に対して経営者夫婦も温かな笑顔、より気安いコミュニケーション、融通を利かしたメニューの提示など貢献に対するgive行動を示している。

素晴らしい関係である。素晴らしい関係であるからこそ、出来るだけ問いかけに気のいい返事をすること、「美味しかったです。ごちそうさまでした。」といった立ち去り側の一言は必ず言うこと、釣り銭で困らないように出来るだけ細かいお金で支払うこと、など一般的なお店との関わり以上に心がけつつも、基本的にたまに食べにくる客の一人にすぎない私は、「ああ、私はただたまにランチ食べにくるだけ」と少し自分の存在に後ろめたさを感じてしまうときもあるのである。

そして、他の定期的に通う比較的機械的なやりとりしか交わさないお店よりも、いい客であろう、好ましい客という印象をもってもらおう、という意思が働くのか、利かない気を使おうとして、やや気疲れしてしまう。(勝手に私がやっているだけの話なのだけど、そんなことをいってしまう自分にまた後ろめたさが。。)

たまに、食後のコーヒーに菓子をつけてくれたり、常連からもらったであろうミカンをくれたりする。そんなとき、温かさと、少し常連認識をされたのか、とこのお店のコミュニティに属することができたかのような気持ち良さを感じるのだけど、自分よりも他の常連客と親しげに話すオーナー夫婦をみると、ああ、私の存在はそれほどでもないか、と寂しく居心地の悪い気持ちに引き戻されるのである。

 

考えてみると、このような嫉妬と他者と比べることによる居心地の悪さと比べてしまう後ろめたさは私の場合、至る所で感じるのだが、これってやっぱり自分自身の問題であるのだよな。

他者の存在と比較しないと自己を確立できない未熟さとか、他者よりgiveしてもらはないと納得できない器の小ささとか。

あ、また疎外感と居心地の悪さを感じてきたので、このくらいにしておこう。

 

そして、当該お店にはまだまだ通わせてもらい、この疎外感と居心地の悪さの行末を見守ろう。

 

 

禁酒してから変わった子育てに対するスタンス

上の子が生まれて5年、下の子が生まれて3年、子供が少しずつ成長してきたというのもあるけど、この半年間くらい大分子育てに対して、割と気楽な気持ちになってきた。(とはいえ、来年上の子小学生で、そんな悠長なことを言っていられるのは今だけかもしれないけど。)

やっぱり、これも禁酒の影響が大きいのかな。。

 

上の子が生まれた5年前から1年くらい前まで、私は自分より遥かに大切で尊いと思える存在をどうやって守って行ったらいいのか、守っていく力がなくて、不安だった。

子供に何かあったときに何とかできるコネも金も技能もない。

何もかもが中途半端で、酒を飲んで早起きもできず、朝はいつも切羽詰まった状態で登園準備をさせ、酒を飲んでて体力もないから仕事、家事育児でヘトヘトで殺気だっている、もちろん多分笑ったりしている時もあったんだろうし、子供にとって常に怖くはなかったと思うのだけど、私は常にこの愛しい存在たちに何もしてやれない、何もできない無力感みたいなものを常に感じていたし、自信がなかった。

我が子と同世代の子供が出来ていること、経験していることを我が子が出来ていなかったり、経験していなかったりすると、焦ったり尚更自分がダメなように思えていた。

 

禁酒をして1年間が過ぎた。

まず、目標の1年を本当に飲酒をせずに、乗り切った。

その間、いくつか趣味でやり始めたこともあるし、33歳で飛び込んだIT業界から同じIT業界内で転職もして、何とかしばらくやっていけそうな感触を得ている。

 

シラフの日常は、豊かな発見に溢れている。

禁酒をしてから私は1年歳をとった。

ただ、1年前より確実に若返っている。

禁酒前の若かりし日々よりシラフの日常になって体験したこと、インプットした知識のほうが、確実に自分の血肉となって知恵が増えたと感じている。

 

それに、悩むことが減った。相変わらず怠惰だが、少し行動量が増えた。自己肯定感は高まっていないが、まあ自分に自信をもつというよりも、普通の自分の現状を受け入れて、今の特段映えない日常を心から楽しめるようになった。

禁酒から1年経ち、今私はこう実感している。私は35歳の禁酒開始から新たなスタートを切っているのだ、と。これは間違いなくいいスタートで、禁酒は私がここ何年かの間で自分に関して行った決断で最良のものだ。

 

人生の岐路にたつ、進路を決めるのは、人生100年時代、子供時代だけではない。子供時代の決断や進路も大切だけど、もっと大切なのは、自分自身に対して諦めないこと、諦めたとしても、それをずっと継続しないこと、なんだと思う。

いつ、どこで、何が起きるかわからない。親が100%安全な方法や一般的にいいと言われる方法でも自分の子供がそれに満足するかもわからない。

 

と、考えると、親が一番すべきことというのは、子供自身を信じることなんだという気がしている。子供が自分に対して諦めたときでも、また子供が自分を信じてくれることを信じる、というような。

 

では、どうしたら自分を信じる、という気持ちになるのか。

それは最終的には楽観的になれる心の持ちようが大きいんじゃないかと思う。

「ああ、本当自分だめだわ、くずだわ、どっかいっちゃえばいいんだわ。ああどっかいっちゃおう。」と思った時に一方で「まあ、でも仕方ないよね。仕方ない仕方ない。そういうときもある。そうじゃないときもある。」と思えるような。

じゃあ、どうしたらそういう思考回路になるのか、といったらそれはやはり経験とか習慣とかなのだろう。ある種の思考の癖とか口癖のようなもの。

 

そう考えると、親としては、自分自身が日々いい現実も悪い現実もみる、そうしたときにどっちに関しても酒でそのときの感情の動きを曖昧にするのではなく、淡々と現実を受け止める、悪い時には「まあ、そういうときもある」とする、泥酔して楽しい逃避をしてぐるぐるその場を堂々巡りする、などせずに、少し自分に優しく、いつもより体を休めながら物事を粛々と進めようとする、そのような姿勢を子供に見せることが、親が子供の自分を信じる気持ちを育むことに繋がるのではないだろうか。

そして、子供自身がいい現実も悪い現実もみたときに、過度に過剰移入をせずに、淡々と「そう、いやだったね、そういうときもあるよね。でもきっと大丈夫」といった共感、緩やかな楽観姿勢を伝え続けることなのではないだろうか。

そして、楽観的に自分は自分の現実を受け入れ、豊かに過ごし、子供自身が自分で色々やろうとする意志を見守ること。

 

と、考えると、親があまり積極的にあれこれ気を回し続けるのもよくない気もするし、そこまで重要視しなくていいような気もして、生来怠惰な自分は、少し楽観的な気持ちになるのである。

商社時代の同期ワーママが司法試験に合格したと聞いて嬉しくなった話

まあ文字通りなのですが、在宅勤務をしていたら、前々職の商社時代の同期から「司法試験合格した」と連絡があって、嬉しくなった、Twitterの140字では足りなかったので、ブログに書くことにした。

 

いや、本当にすごいな。3年ほど前に退社して、予備試験を経ての、司法試験合格。その間、第二子出産、間も無く旦那さん海外に単身赴任で未就学児のワンオペ育児、そして去年はコロナ渦において保育園休園の中でのワンオペ在宅育児。。

その中で、目標に向かい続けて、合格したという話には本当に元気付けられる。

あまりお世話になったことはないけど、きっと全人格的な仕事なので、これまでの経験全てが活きてくるでしょう。

 

部署は違うけど互いに同じような仕事をして、出産を機に仕事内容と生活の解離や出張、飲み会へのストレスを共有し、同じような時期に退社をした同期。

 

ちょっとこじつけに聞こえる部分もあるかもしれないけど、ワーママになって変わった優先事項、勉強に時間をかけられる時間のありがたみとそれに比例した集中力、マルチタスクの中で優先事項を柔軟に変更できるスキル、そしてワーママとなって既存の環境に違和感を感じ、それを打破しようとした気持ちがエンジンとなったような気がする。

 

新しい仕事、かつ弁護士も以前のように資格だけでは食べて行きにくい職業とは聞くけれど、彼女なら3年くらいの実務経験があれば、今までの大企業での経験、家事育児の経験が活きてバリバリ活躍できるんだろうな。

彼女の新生活に幸あれ!

 

と、ここまで書いてきたけど、目標を達成した要因は彼女の粘り強さにあるような気もするな。1年前に家に遊びにいったとき、数日後に旦那さんの単身赴任先に子供2人を連れていく、という日だったのだけど、旦那さんと電話している最中に、スーツケースの3桁の番号がわからない、ことが発覚。

私だったら発狂しそうなところ、彼女は怒った様子もなく冷静に、「これ、1000通りやればいいんだよね、わかった。」といって静かに電話を切って一人黙々と「111、112、113、、、」という感じでダイヤルを回し始めてた。

私は時間も時間だったので途中で帰ったんだけど、そういえばあれどうなったんだろうな。

 

 

 

禁酒をはじめて130日間の変化について

年明け2020年1月2日から、一旦来年の元旦まで禁酒しよう、とふと思いました。

これまでどれだけお酒を飲んでいたのか?なぜ禁酒しようと思ったのか?禁酒してからの効果について、書きたいと思います。

 

1.禁酒する前のお酒との付き合い方

飲酒を本格的に開始したのは、大学を機に上京した18歳から。

上京当初一人暮らしの寂しさもあり、毎晩のように飲んでいました。

お酒が原因で救急車に運ばれた事も2ー3度。

入学早々、オールして、そのまま早朝バイトに行き、たまに授業に出て、またオールして、早朝バイトに行き、今度はそのまま家に帰って授業はいかず、、みたいな感じでまさにお酒中心の生活を送っていました。。

(今こうやって文字に書下ろすと恐ろしい生活。。キャッ!)

てか、よく留年とかせずに、ちゃんと卒業できたな。

 

就職先は、OB訪問のときにやたら商社の人はお酒を飲ませてくれた、という好印象もあり商社へ。

恐らく相対的に飲み会が多い業界・職場で、週3-4日は取引先・先輩・上司と2時くらいまで飲んで、タクシーで帰る日々。

忙しい時期は、残業して、仕事が終わった0時から飲み会、ということもしばしば。。

(あ、こんな生活だったから、今未就学児が2人いて、仕事も育児と家事が加わってるけど、2時くらいまで平気で夜更かしできるんだ。。)

休日も、週末は必ず飲む事が日課、もはやノルマ、日常?(1人でワインボトルを1〜2本は空ける。)

 

この生活は、結婚してからも変わらず、当然週末しか会っていなかった夫は一緒に暮らし始めた後。日常の私の生活をみて、驚き、苦言を呈する事も。ただ、私はその度に「これは仕事の飲み会で、私の仕事を理解すべきだ。」的な昭和おやじちっくな発言を繰り返していた。

(なんか、色々すみませんでした。)

 

まあ、これ以上書くとなんか悲しくなってくるので、これくらいにしようと思いますが、結構ひどい部類の酒飲みでした。

てか、私の酒好きは職場の他の部署も知っているくらいの酒好きで、何が言いたいかというと、私にとって酒=自分のアイデンティティくらい大きな比重を占めるものだったということ。

 

ただ、仕事は年に1度くらいは飲み過ぎが原因で遅刻、ということもあったようななかったような気もするけど、出勤もしていたしお酒が原因の仕事の失敗とか、酔って暴言吐きがち、みたいな変な酒癖もなかったので、二日酔いで効率落ちる、くらいの支障しかなかった訳です。

 

そんな感じでお酒は素晴らしい、最高、と思って日々過ごしていましたが、突如として酒を止めざるを得ない日が29歳の夏に訪れました。

理由は、妊娠。。

 

はい、これはもうお酒を止めました。自分の健康でなく、子供ではあるけど他人の命、そしてものすごく大切な命に関わる事ですからね。。

仕事上の会食が減る訳でもなく、飲み会に行っても酒は飲まず泣く泣くジンジャエールで過ごしてました。

でも、酒を飲みたい、という気持ちは決して忘れない日々。。

 

そして、出産して、でも授乳があるから多くは飲まないまでも、子供がミルク中心で過ごすようになってからは、普通にお酒を家で飲むようになっていた。

そして、妊娠前とほぼ変わらないくらいの酒量に戻っていた頃に、再度妊娠。。

(あ、3歳差です。)

 

はい、これもきっぱり止めました。

ただ、2回目のお酒強制終了は1回目の経験があるのでさほど辛くなくやり過ごし、出産後ミルク中心で過ごし始めてから、お酒再開。

 

ビール、焼酎、ワイン、日本酒。。

外での飲み会が減った分、家に常備するお酒は日に日に増えて行き、週末の楽しみは夕食のワインと、その後家族が寝静まった後、2-4時頃まで一人でワインを飲みながら映画鑑賞をすること。

(てか4時って、朝でしょ。あ、2時に寝てた日もありました。4時は調子が出てきたときだけです。)

深酒した次の日は休日でも中々起きれず子供と公園に行くのが遅くなる、公園で一緒に遊んでいてもイマイチ体がのらない、みたいなことはありつつも、まあ仕事も家庭生活もやっていける感じではありました。

 

まあ、そんな感じで、結構な酒飲みとして18歳から34歳までの16年間を過ごしていた訳です。

2.なぜ禁酒しようと思ったのか

多分、3つくらいきっかけはあります。多分、以下が相互に関係して禁酒に至ったのかと。

 

  1. 16年間、散々飲んできて、飲む事に飽きてきた自分にうっすらと気づいていた。
  2. 私の好きな作家の町田康さんが禁酒したことを知った&年末にその禁酒に関する小説を読んだ。
  3. このまま飲み続けて、特に新年の抱負とか立てても何も実行できずに人生終わってくんだな、とふと新年に思った。

1.16年間、散々飲んできて、飲む事に飽きてきた自分にうっすらと気づいていた

→これは、うまくいえないのだけど、散々お酒を飲み続けた事で、お酒を飲む事で齎される効能が低くなって来て、逆に副作用のほうが気になり始めたというのでしょうか。(二日酔い、子供と過ごす時間の質低下、など)

ただ、うっすらと気づきつつも、16年間にも及ぶ日常・楽しみを手放すことなどできず、思いつつも、続けてた、という感じ。

 

2.私の好きな作家の町田康さんが禁酒したことを知った&年末にその禁酒に関する小説を読んだ。

→これは、正直かなり影響が大きかった。下手したらきっかけの60%くらいは占めているのでは。。ただ、これ単体だと禁酒には至らず、1のうっすらとした自覚症状があるときに、勝手にこの人が酒飲み続けてるんだから大丈夫、的に思っていたり、とてもとても好きな作家の方、そして絶対にこの人は酒をやめないだろう、とやっぱり精神的支柱に思っていた方が酒を止めた事を知った事、そしてその禁酒記録を読み、やはり「効能よりも酒を飲むためのコストが大きい」的な事を書いていた(いや、酒を飲みながら年末に読んだので、本当にこう書いてあったか謎だけど。。)ことの衝撃は大きかった。

とはいえ、まあな、という感じで、やや大きな衝撃は受けつつも、そのまま読了後も酒は飲み続けて新年を迎えた。

 

3.このまま飲み続けて、特に新年の抱負とか立てても何も実行できずに人生終わってくんだな、とふと新年に思った。

→年末〜元旦にかけてまあまあなペースで飲んだ次の日の1月2日。

箱根駅伝をみてボーボーしながら、「新年の抱負とか立てるかな。」と思ったときに、即座に「どうせ新年の抱負とかやっても自分の性格からして実行した試しがないから立てるだけ無駄」という考えが巡った。

と、同時になんとなく「ああ、もう自分は自分を信じられない人間なのね。」という気づきと「そりゃ信じられないよね」という共感がきて、何となくこのままでいいのか?と自問自答することとなり、「育児と仕事で新たに始めるのは無理。せめて酒やめる、でもやってみるか」となった。

 

そして、そのまま1月2日から禁酒開始、今日で禁酒132日目となる。

 

 3.禁酒してから130日間の変化について

最初の2週間は、とにかく酒の事ばかりを考えていた。

辛いのが、妊婦みたいに飲みたいのに飲めない状態ではなく、自主的な禁酒なので「お酒飲みたい」と誰かにいっても「じゃあ飲めば?」となるし、あまり言い過ぎても単に構ってほしいおばさんみたいになってしまうので、一人でこの状況を乗り越えなければならなかったこと。

こういう状況下、Twitterで禁酒記録をつぶやいて他の禁酒している方々と繋がれたのにはとても助けられた。

 

1ヶ月を過ぎてくると、大分禁酒が日常としてなじんできて、たまに酒飲みたい欲求がくるくらい。

とはいえ、私の場合2回の妊娠による禁酒期間があったので、これは人によるかもしれない。(1人目の妊娠のときは、1年以上ずっと飲みたい気持ちが残っていたから。)

 

禁酒をして起こった事、禁酒したからできたこと、についてリストアップしておこう。

 

  • 体重減少(基本、高校時代から体重は変わっていないが、常にベース体重をキープできるようになった。)
  • コーヒーにはまる(生豆から購入して、手煎で焙煎するようになった。)
  • 不要品の整理や欲しかった家電の購入に踏み切る
  • 甘いもの、まあまあ好きになる
  • 素面の自分を分析して、転職活動→転職決定
  • コロナの影響もあるが、子供に目新しいおもちゃを買って一緒によく遊ぶようになった
  • 息抜きが映画鑑賞&ワインではなく、読書になった
  • 色々学びたい事が多く、楽しい。
  • 証券会社の諸々整理&投資額を増やす
  • 放置していたこのブログ自体を更新できる状態にした

概して言える事は、

一つ一つ考えてから行動することが早くなった、

学びから喜びを見いだすなど、内発的な楽しみや快楽を得やすくなった、

酒というゴールがない分、過ごせる時間そのもの(特に子供達との時間)がよりかけがえのないものと思えるようになった、

ことだろうか。

 

一旦、来年の元旦までの禁酒、としており元旦にはとっておきのシャンパンを飲む予定だが、この状態でまた飲んで自発的禁酒前の自分に戻るのは、怖いなと思う今日この頃。

 

今は元旦までいかに充実した日々を過ごして一つ一つ実行していくか、だな。

 

 

 

 

私のコーヒーライフ振り返り

2020年1月2日から禁酒をしているのですが、禁酒をきっかけにコーヒーにこだわりだしたので、はまりだした一連のステップとか、その仮定で揃えた道具類についてまとめます。

 

 ステップ0:お店で全部購買時代

コーヒーを定期的に飲みだしたのは、恐らく20歳過ぎだったと思います。

それでも今のように1日2杯は飲みたい、という感じではなく、数日に1度飲むとか、その程度。

目的はコーヒーそのものを飲むというよりも、場所確保のため。

飲み始めて5年くらいはこのようなコーヒーとの関わりが続いてたような気がします。

 ステップ1:ドリップパックコーヒー時代

ステップ0を経て、自宅にドリップパックコーヒーを常備するようになったのは、30歳で第1子を出産してから。

お酒も飲めない、色々寝不足で家に籠りがち、で唯一の楽しみが子供が昼寝中のおやつタイム。

そのお供として、ドリップパックを常備するようになりました。

 

色々試してみて、自分は豆の量が多い濃いめのコーヒーが好きなんだ、と気づいてたどり着いたのがこちら。

 

item.rakuten.co.jp

 

1袋基本的に10g以上豆が入っていて、大きめのマグカップギリギリで注いでも味がしっかりしています。

 

生豆を購入している今も、焙煎できないときのために、ストックしてます。

 

 ステップ2:コーヒー粉購買時代

ドリップパックを購入時代は2-3年続きました。

で、上記のカフェ工房さんのドリップコーヒーを愛飲していたのですが、ちょっと味を変えたいとか、コスパ的に粉のが安いのでは?となって、コーヒー粉を買い始めました。

私が買い始めた、というよりは夫がいつのまにかフレンチプレスを買ってきて、スタバとかで粉を買ってきて、私もたまに飲むようになる、という感じ。

 

www.bodum.com

 

自分の好みに応じて濃さを調整できたり、というメリットはあるものの、手間とか考えるとドリップコーヒーで十分かな、という感じで、ドリップパックと粉を併用していた、という感じでした。

 

ちなみに、フレンチプレス自体は、お湯を注いで4分ほど待って注げばいいだけなので簡単かつ、洗い物のも比較的少ないです。

 

 ステップ3:焙煎豆購入時代

ここからですね、私のコーヒーライフががらりと変わったのは。

きっかけは、職場で誕生日祝いにスタバのコーヒー豆をもらったこと。

当時、家にはコーヒーミルがなく、しばらく放置していました。

 

年初から急に禁酒しよう!と思い立ち、コーヒーミルを買ったのがきっかけです。

ちなみに、コーヒーミルは以下を購入しました。

 

www.hario.com

 

ミルで挽きたての粉で入れたコーヒーの美味しさを味わった事、禁酒したことで自分の中でコーヒーによる楽しみの比重が増えた事で、ここから一気に美味しい焙煎豆を探し求めるように。。

 

有名な豆やさんや、焙煎したての豆を売ってくれるお店なんかで1ヶ月ほど、色々試しました。

 

が、

・そこそこいいお店で焙煎豆を買うと、ドリップコーヒーとそこまで値段が変わらない事(手間をかけているのにコスパが。。)、

 

・焙煎したての豆を買うのにそこそこ時間がかかること、

 

・コーヒーの美味しさは生豆60%、焙煎20%、抽出10%(残り10%は出典によって配分が異なる)ということを知り、

 

焙煎豆を買い続ける事のメリットが自分的になくなり、一気に生豆調達→焙煎を自宅でする、に傾き始めました。

 

 

 ステップ4:生豆&銀杏入りで自家焙煎時代(←今ここ)

自家焙煎するにあたり、とったステップは以下です。

 

・一度焙煎を体験する。

・道具を買う

 

・一度焙煎を体験する。

こちらでお世話になりました。

https://coffeekoubou.tumblr.com/post/188833821529/tumblr%E3%82%92%E9%96%8B%E5%A7%8B%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F

coffeekoubou.tumblr.com

 

動画なんかでも焙煎の仕方は学ぶ事ができますが、一度プロに教えてもらうと、2時間くらいで一連の流れを体感できるのでおすすめです。

私はこちらの教室で、「よし、焙煎家でやってみよう!」と背中を押してもらいました。

 

・道具を買う

何十万円もする本格的な焙煎機は置き場所ないし、ということで、手動で

コンロで回す焙煎機、電動焙煎機など迷いつつ、浅草橋のユニオンさんへ。

www.0141coffee.com

 店頭で、お兄さんに色々使い方を聞いてみたところ、電動も手動も置き場所とかコンロの追加購入とか色々ありそう、と思い結局2500円くらいの銀杏煎りを買う事に。

ちなみに、何か道具を買うときに道具について色々知ってるリアルのお店に行くって大事だなと思いました。

 

生豆は、前出のぼくらの焙煎工房さんで教えてもらった、ワイルドコーヒーさんで。

www.wild-coffee-store.com

 

500g単位から発送してくれるので、個人でも利用できます。

 

そんな変遷で、今は2週間に1回くらい手煎で生豆から焙煎する生活を送ってます。

が、少し電動焙煎機が欲しいな、と思う今日この頃。

 

ちなみに、毎日手動で豆を挽くのは大変なので、現在は以下の電動ミルを使ってます。

www.bodum.com

 

手煎の方法とか、豆の感想とかも今後書いて行きたいと思います。

 

ではでは

 

 

pappara84