ミセス・パッパラのシラフの日常

35歳で始めた禁酒をきっかけに、映えないけど光さす日常を満喫中

35歳に禁酒を始めて新たな人生を謳歌している中年ワーママが映えないけど満足した日々を綴ります。

やはり、綾瀬はるかさんは素晴らしいと思う

口にするのも憚れるが、綾瀬はるかさんは同学年だ。同学年とか比較対象にすることすら恐れ多い。私は綾瀬はるかさんをとても尊敬している。しかも、年々尊敬の念を強めている。

改めて、Wikipediaで綾瀬はるかさんのプロフィールを確認してみた。

このプロフィールが正しいとすると、彼女のデビューは2000年である。おそらくこの頃、ビューティーコロシアムなどに出だしていたことは覚えている。

ドラマの出演歴なども確認してみる。白夜行、ホタルノヒカリなどで活躍していたのは知っている。でも、この頃の作品は恐れ多くも、あまり真剣に観ていなかった。最初に素晴らしいと思ったのは、デビューから9年目、2009年に放送された日曜ドラマ、仁だった。最初は大沢たかおの笑顔が好きで観ていたのだけど、段々綾瀬はるか演じる咲役の医療に対する真摯さとそれを体現する彼女の演技力、佇まいの魅力にも虜になった。2011年の仁の完結篇ももちろん観た。その後、八重の桜、きょうは会社休みます。、奥様は、取扱注意、義母と娘のブルース、天国と地獄、そしてもちろん今は放送中の元彼の遺言を鑑賞している。

改めて、Wikipediaでのドラマの出演歴をみて驚いたのだが、2000年のデビュー以来、ほぼ毎年連ドラに出ている。(彼女の出ているドラマはできるだけ観たいと思っている人間だが、全てを観きることができていない。)そして並行してスペシャルドラマ、映画、CM、紅白の司会など様々な仕事をこなしている。

 

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彼女の出ているドラマが面白く、そこにおける彼女の姿はとても魅力的で、ドラマごとに魅せる演技の違いやどの仕事でも変わらない真摯な佇まいは勿論素晴らしいのだが、多分私が何よりも彼女を尊敬している点は、2000年からのデビューからコンスタントに、プレッシャーが少ないとはいえない一つ一つの仕事を、数多くこなし、2022年に至るまで年々進化を遂げて、更に慢心することなく精進されているであろうその姿勢なのだと思う。そして、それだけ仕事量をこなして、事務所の収益を支え、外部的な評価を手にしていたら、並の人間であれば不遜さが出てきてしまう部分もあると思うのだが、全くそんな部分がない。

(とはいえ、改めて一線で活躍され続けている俳優の方々を思い浮かべてみると、一様に不遜なイメージはないので、トップに立ち続ければ立ち続けるほど、謙虚にならざるを得ないような演技の世界の奥深さがあるのかもしれない。)2000年デビューで、これだけの国民的女優ともなれば、出演作に対する期待値もあがるし、事務所を支える屋台骨としてのプレッシャーもあるだろう。そういった重苦しい部分を観客には見せつけず、圧倒的な仕事量を、高い質でこなしつづけるプロフェッショナルさ。そして、マンネリとならず、新たなタイプの役柄に挑戦していく向上心。第一線で活躍し続ける仕事ぶりをみていると、「相変わらず素晴らしい。ちょっとは爪の垢を煎じて見習おう」といつも前向きな気持ちを抱かされる。

以前、何かのインタビューで、ストレス解消法として「走る」と話していた。

不遜で雑な言い方だが、なんとなくその気持ちはわかる。私も唯一の趣味・気晴らしが走ることで、何か精神状態がよくないと走って、忘れるようなことをよくやっている。

本当に、庶民の憶測に過ぎないのだが、庶民的な勤め人と同様、あれだけ活躍して人気があっても、2000年からの長いキャリアの中でストレスを感じることも多少はあるのだろう。仕事にかかわらず、天気とかでも人の気分は変わるものだから。

それを、走って解消している。きっと、そうやって自分で気持ちに向き合って、整えて、仕事に真摯に向き合い、高め続けている、そういう自分が進むと決めた道を極めていく方なんだろうと勝手ながら想像している。

願わくば、今後も、そうやって極めていく道中のアウトプットを拝見し続けていたい。その出来の如何とか、例えば休養するなどの選択なども含めた彼女のアウトプットは、「ああ、なるほど、ここでこういう選択をとるのか、こういう挑戦をしているのか」とその内容によらず同世代の背中を押してくれるものだと思うから。そう思わせる信頼感を、彼女は長年のアウトプットを通じて、蓄積してきた。そして滅多にそれは成し遂げられるものではない。一度きりの人生、ずっと出ずっぱりという選択肢をとるとは限らないが、ところどこでこれからも、この奇跡、軌跡をこれからもずっと拝見できたら嬉しく思う。

 

アラフォーワーママが、オリジナル版ゴシップガールをみて刺さりまくった10のポイント

ゴシップガールとは

ゴシップガールとは、2007年から2012年まで全6シーズン(5シーズンまでは1話約40分x22~24話程度、6シーズンは1話約40分x10話)にわたって放送されたドラマです。

端的な説明は、公式の以下キャッチコピーにて的確に表現しています。

NYセレブティーンの
超過激、超ゴージャス、超ファッショナブルなリアルライフ。
オンナ、ミンナ、ゴシップガール。

warnerbros.co.jp

 

そう、ゴシップガールは、NYのアッパーイーストに通う超セレブでいけている高校生たち(というか、高校生離れしている)+ブルックリン育ちの庶民の固定メンバーが繰り広げる、セレブでおしゃれで嫉妬、陰謀、駆け引き、感情剥き出しのノンストップドラマショー。

ちなみに、主人公たちのドラマは高校生からスタートするのですが、大学生、社会人と主人公それぞれが成長していきます。

なぜ今さらゴシップガールを?

イカゲームをきっかけに、夫が契約していたNetflixを鑑賞しはじめた私。その後、2021年12月に公開された「エミリーパリへいく シーズン2」にそこそこはまりました。

エミリーパリへいくは、仕事x恋愛x友情xカルチャーギャップxパリの美しい風景を盛り込んだ1話30分x約10話/シーズン程度の、在宅勤務xコロナで基本ステイホームx家事育児でほぼ1日終わるx恋愛とか忘れたアラフォーワーママの私にとって、睡眠に差し支えない程度に適度な刺激を与えてくれる素晴らしいドラマでした。

「エミリーパリへいく」を鑑賞しきった2021年末、そして2022年初頭に、1話あたりが30分くらいで、「エミリーパリへいく」と同じ感じの、恋愛xカルチャーギャップx異国の風景を盛り込んだ感じのドラマはないかな?と探していて目に止まったのが、ゴシップガールでした。

 

アラフォーワーママがゴシップガールをみた感想は?

鑑賞から、早5ヶ月。映えない、平凡、まあでもそこそこ満たされていた、そんな人生を40年ほど送ってきましたが、2022年が始まってからこの5ヶ月は「え?私今厄年じゃないよね!?」と何度も思う出来事の連続でした。

まああまり私ごときの話など皆さん興味ないと思うので、小さく書き出しますと、

正月早々、夫を警察に突き出す、父親が脳梗塞で倒れる、子供がコロナにかかる、仕事余裕なし&在宅勤務の会社のPCが大事な仕事の直前に使い物にならなくなる、左半身のしびれが現れて脳のMRIや腫瘍マーカー検査やら医療機関をはしご、3回目のコロナワクチン接種後に耳鳴り・激しい目眩でメニエール病診断、、

改めて書き出してみると、楽しいことが1つもねえ!!

いや、ありました。それが、そんな辛い日々でも少しでも元気が出るとコツコツみていたゴシップガールの鑑賞。というか、上記のような色々な出来事のなかで、余暇的な活動は、動画鑑賞くらいしかやる気力がありませんでした。

そしてつい先日、ようやくファイナルシーズンの最終話まで完走!

軽く鑑賞しはじめたゴシップガールですが、完走した今、シーズン全体をわたっての主人公たちの印象的なエピソード、数年間での成長、脇役も含めたそれぞれのドラマなどこのドラマの色んな素敵なポイントに想いを馳せては感動し、観終わったことを寂しがり、そして一緒にこのドラマと過ごした5ヶ月間を慈しむ、そんな長くて深い感動に包まれています。

 

具体的にどんなところがよかったの?アラフォーワーママに刺さりまくった10のポイントとは?

さて、本題です。具体的にどこがよかったのか。沢山あるのですが、とりとめもなく書くと、伝えたいポイントを忘れてしまいそうで、1つずつポイントとして振り返って、またこのドラマとの思い出を慈しみたいと思います。

魅力ポイントその1:主役2人のガールズたちのビジュアルが圧倒的に魅力的。

まあ、まずはこのポイントが挙げられます。全シリーズを通じて登場する登場人物は、女性がブレアとセリーナ、男性がダン、ネイト、チャックの5人。その中でも、圧倒的にこのブレアとセリーナのビジュアルが素敵すぎるのです。。

セリーナを演じる

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さんと、ブレアを演じるレイトン・ミースターさん。

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特に私は、セリーナを演じるブレイク・ライブリーさんの圧倒的な美しさ、明るさ、スケールの大きさに魅了されたのですが、徐々にブレアのファッションセンス、一生懸命な可愛さにも虜になりました。この2人のビジュアル面での魅力とファッションだけでも十分楽しめます。

 

魅力ポイントその2:どんなに登場人物同士が激しくぶつかりあっても、ちゃんと仲直りする。

基本的に、シーズンを通じて、恋人のペアは頻繁に入れ替わり、諸々のトラブル、相手を陥れるための陰謀が絶えません。ビジュアルが圧倒的に魅力!と称えたブレアとセリーナも、親友同士でありながら、相手の彼氏と浮気をする、公衆の前でありもしない秘密(ありもしないので秘密でもないけど)を暴露する、進学先を巡って違いを貶める、などなど、日本人の感覚からするとその1つの少し軽いバージョンでも当てはまれば、一生口をきかない、むしろ裁判沙汰?くらいの、ひどい仕打ちを互いに行います。

そう、欲望のままに。当然、やられた方はブチ切れて、時には仲間を募ってさらに酷い仕打ちをやり返したりするのですが、数話たつと、互いの存在の大切さに気づいて、「ごめんね、やっぱりあなたは大切よ。」「うん、私も。」みたいな感じでハグして仲直り。そして、互いの雲行きが怪しくなりそうだったら(付き合っている相手がやばそうとか)、忖度なく助言して(ここでも、忖度なさすぎて大体けんかになる)、困ったときには最終的には必ず助けて、という感じで、なんていうんでしょう、相手にぶつける感情の振れ幅のスケールが大きいし、絆が深い。女同士、男同士、仲間同士、どの絆をとっても、めちゃくちゃ相手を傷つけたりするけどけど、最後にはしっかりと仲を取り戻す。ワーママとなり早8年、母の顔、会社の顔、近所、学校関係の顔、といつのまにか色んな顔を使い分けて、波風立たないように、トラブらないように、と無難なコミュニケーションが染み付いてしまった私にとって、こういう過剰な感情のぶつけ合いや強い絆も眩しい魅力として映ったのです。

 

ポイントその3:チャックとブレアの恋愛模様

少しネタバレになるのですが、主要登場人物のうち、チャックとブレアはくっついたり離れたりします。そして、このチャック。(リンクは演じたエド・ウェストウィックさん)

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最初は自分の特権的な立場を利用して庶民を馬鹿にしたり、力づくで誰かをねじ伏せようとしたり、女性にだらしなかったり、スタイルも顔も美形でもなく(失礼!)、なんで主要人物に彼がいるのだろう?出てくるたびに不快!という感じだったのですが、シーズン1の中盤以降で、主要キャラのブレアとの恋に落ちてしまって以来、チャックの魅力度が急速にアップ!自分の出産がきっかけで死んでしまった母親、それを機に自分を憎んでいるに違いないと反駁する父親との関係、誰よりも愛を欲しているのに、拒絶されることを誰よりも恐れて、正反対の行動をとって、家族や仲間に失望され傷つく彼。そんな繊細さを持ち合わせ、登場人物の誰よりも一途にブレアのことを愛して、仕事の成功のために成長をし続ける彼のことが、いつしか男性キャラクターの中でナンバーワンの推しメンに私の中で変革しました。

と、同時に主要女性キャラクターのブレアとセリーナを比較すると、当初圧倒的な華やかさと大らかさを体現しているセリーナに圧倒的に魅力を感じていたのですが、このブレアとチャックの恋模様が進んでいくうちに、真面目さ・もろさ・賢さ・そしていつでも大切なものを守るためにしたたかさを忘れない真摯なブレアのキャラクターにも大きな魅力を感じるように。

しなくてもいい傷付け合いをしながら、くっついたり離れたり、成長して、離れるたびに強固になっていく二人の恋の行く末を見守ることは、ゴシップガールの大きな魅力の一つでした。

魅力ポイントその4:NYの街並みとか文化とか

コロナ禍にあって、庶民にとって海外旅行はまだまだ高嶺の花。しかも子持ちの庶民となると、子供をつれての10時間以上のフライトを伴う海外など、夢のまた夢。。(と書いて現実に引き戻される)そんな中にあって、シリーズ全編を通じて、NYの街並みを通じてちょっとした異国情緒の雰囲気を味わえる目の楽しみがありました。まあ、NYの街並みだけだと、東京の街並みと180度変わるわけではないのですが、たまにセレブな主人公たちはバカンスで他の街にも遊びにいったりすると、違う街並みも楽しめたりします。街並みと並んで、いやそれ以上に面白かったのが、メットガラ、ファッションウィークのあれこれ、チャリティパーティー、オークション、プロム、社交界デビュー、名門大学への進学に向けた推薦枠の争いやピーアール事情、などアメリカのセレブライフの文化の一端を垣間見ることができたこと。特にメットガラやチャリティパーティーなどは定期的に開催しているイベントなので、実際にメットガラが開催されてたりすると、「あ、あのメットガラだ!」と楽しくなります。

また、子供がいる身にとって、名門大学への進学事情や、名門校への切符をかけたアピール方法などは、本当かどうかの検証は必要ですが、かなり参考になりました。なんというか、単純にテストの順だけで決まるのではなく、志望動機とか有力者からの推薦とりつけとか、ソフトスキルが必要だし、それをやりぬくモチベーション、目標が必要なのだと。世界で戦える人材になるにはこの行動力、アピール力が必要なのか、と、そりゃ皆強くなるわ、と嘆息まじりに納得しました。観ているだけで自然とNYセレブのライフスタイルや考え方を感じられる、それが魅力ポイントその4です。

魅力ポイントその5:少しは英語の勉強になる

割と、登場人物たちはわかりやすいアメリカンイングリッシュを話してくれます。ああ、動画鑑賞しかしてない、と思いながらも、在宅勤務+子供との会話がメインの生活で、メインで鑑賞している動画が英語だと、なんとなく耳が英語に慣れてくるような。少し英語が得意になった気持ちに感じられるのも、魅力ポイントです。

 

魅力ポイントその6:親も割と好き放題やっていて、気持ちが楽になる

セレブな当初高校生主人公たちは破茶滅茶なのですが、その親たちも結構好き放題やっています。主要人物の親たちで、離婚していない親は一人もおらず、一人になった親は自由に恋愛を楽しんでいる。恋愛だけでなく、自分は「親だから」といって、自分の楽しみにを遠慮している親など一人もいない。セレブな当初高校生の子供達は、それぞれ学校でのいじめ、摂食障害、停学処分、薬物中毒、などなど結構深刻な問題を引き起こします。そうなったら、自分とか日本の親とかだと「私は自分の子供がこういう状況になる前に何かできなかったのか?」「私が自分のことばっかり気にかけてたから子供たちがこうなってしまったのだ?」などととかく親の責任に苛まれそうなものですが、ゴシップガールの親たちには一切そういったジメッとした心配の仕方はしません。

まあ多少心配することもあるのですが、大体は傷口に塩を塗るかのように失望している様子をみせたり、罵倒したり、話を聞かずに寄宿学校などに送って隔離したり、基本的に子供を親とは別人格で、コントロールするものとして、問題を解決しようとします。当然、一方的にやられる子供達の方は反発しますが、子供たちは子供達でその試練の状況をなんとか乗り越えて成長し、親たちとも和解する、し、理解できなかった親の行動も納得できない点も含めて尊重して受容するようになる。

途中で実父大好きなブレアにステップファーザーができるのですが、その交際に関しても、「年頃の子供がいるから、その子を1番に考えて、徐々にステップファーザーを受け入れられる状態を作る」とかの配慮は全くなく、「これが私の愛している新しい恋人だからよろしく!」という感じで、あくまで親は親の好きなようにしています。

そしてどの親もエイジレスでとっても魅力的!(特に母親たち!)第一子を出産して早8年、私が好き勝手してもこの親たちほどに好き勝手にはならないだろうし、ちょっとくらい自分ももう少し自分本位に考えて、こういう親たちみたいな人生生きてる感じの年の取り方がしたいし、子供達が自分で成長する力も信じて、もう少し親としての責任に囚われすぎずに肩の力を抜いてもいいんじゃないか、と励ましてくれるようなゴシップガールの魅力ポイントでした。

魅力ポイントその7:金に困っていない人間たちの純粋な悩みや野心

主要人物の殆どは、金に困っていないセレブ未成年(のちに社会人にはなる)なので、その選択も「本当はこれがしたいけど、生活のためにこれをする」みたいな要素が全くありません。だからこそ選択が極端で、他人に遠慮もなく、ダイナミックなのかもしれません。そういう前提条件なので、主人公たちの欲望は人間が根本的に欲する純粋なもののように感じられ(やり方は純粋ではないのだけど)、それがまた案外庶民にも共感できる内容でした。

何が彼らの欲望にあったか、というと、以下のようなものでした。

・親の愛情、親からの1人前としての承認

・強固な友情

・自分が特別な存在であることの周囲からの承認

・仕事を中心とした、自分自身の人生の目標に対する成功

・恋人からの真の愛情、信頼関係

と、同時にこれらの要求をみたすには、お金だけでは解決できず、物質的な環境に恵まれたセレブな主人公たちであっても時に人の助けも借りながら(でも大体手助けには素直に耳をかさず、手痛い失敗をしてあとからありがたさに気づくパターンがほとんど)苦労して自分で乗り越えていくしかないのだな、ということも改めて感じました。金銭的な不安もない、生の欲望を体感できる、そしてそれは庶民と変わらない人間臭さである、それを感じれたことが魅力ポイントその7です。

魅力ポイントその8:全6シーズンという長さ

これは、メリットデメリットあるかもしれません。デメリットはやはり文字通り長さ。全部みるには、40分x23話x5シーズンと、40分x10話xファイナルシーズンの延べ83時間かかります。仮に週末の2日間、寝る前に3話ずつみたとしても、14週間、3ヶ月弱かかります。これは、かなりの余暇時間の投資です。(もう投資してしまった。。)

ただ、長いだけのメリットはあるし、これだけのシーズン続いただけのこともある。それは、高校1年生だった主人公たちが社会人に至るまでの成長を見守る、この時の流れにこそあります。高校1年生のときにブレアとセリーナがしあった互いへの仕打ち、当時みたときには「なんてことだ!」なんて鑑賞しながら被害にあった登場人物と一緒に怒ったことも、ファイナルシーズンともなると、二人が「高1のときにあんなこともあったし。」なんてジョーク混じりに振り返っていると「そうそう、あんなこともあったよねー、無茶苦茶だったよねーあなたたち、大人になったねえ本当」などと、一緒に笑い合える、そんな思い出を共有できる愉しさがあります。ただし、その出来事はフィクションだし、時差があるし、一方通行。。

親子の関係性の変化、主人公それぞれの成長と進路の選択、くっついたり離れたりするカップルの変遷、敵対関係含め、このシリーズの長さによって、徐々にそれが主人公たちと共有したかけがいのない思い出となっていく、これがその8の魅力ポイントです。

魅力ポイントその9:主要メンバー以外も魅力的

シーズン全部に渡ってほぼ出てくる主人公たちの親兄弟たち、時々の恋人たち、セリーナ&ブレアの天敵ジョージーナ、ブレアの取り巻きたちなど脇役たちもそれぞれキャラ立ちしていて魅力的です。脇役たちも、スポット的に出てくるのではなくて、それぞれの現在の言動にどんな過去があったのだろう、という奥行きを感じさせる演出になっているのが、視聴者を飽きさせないポイントの一つなのかもしれません。

魅力ポイントその10:ブルックリン出身の庶民ダンの下克上物語

正直、このポイントはあまり認めたくなかったのですが、やはり最大の魅力の1つとして挙げざるを得ないでしょう。ネタバレになりますが、ダンはセレブばかりの主要人物において、唯一の庶民出身(といっても、ブルックリンに割と広いアパートを持っているので、そこそこいい暮らしをしている庶民)。成績優秀、文才あり、皮肉屋で目立たないけど、実はルックスもまあまあいけている。人気者セリーナと付き合ったり別れたりを繰り返して最後にはセリーナと結婚、仕事では、文才を生かして友人であるセレブたちの秘密をエッセイ仕立てで発表し、成功をおさめる。そして、ゴシップガールの正体もダン。なんていうんですかね、なんだかんだ育ちがよくて色んな陰謀とかしてもカラッとしている他のセレブな主要人物と比較すると、ダンは根暗でコンプレックスの塊で、でもそんな劣等感を認めたくなくてそしらぬ顔をして、どうにか他の主要人物と肩を並べたくて、汚い手も使って、でも言い訳をしながら、結果的には手にしたいものを全て手にする人物。根暗なところとか、劣等感とかコンプレックスが多くて、でも諦めが悪いところとか、そういうじめっとした感じがなんか自分と通じるところがあって、でもダンが何だかんだとても諦めが悪くて汚い手も使って結果を手に入れるところには、私自身が嫉妬したりして、みていて複雑な心境でしたし、ダンのネチネチした話し方とか、言い訳がましいところか、言動にいちいちイライラした時期もありました。ただ、やっぱりファイナルシーズンを見終えた時、ゴシップガールの一つの主題として、ダンという持たざる者が持つ者に肩を並べるための成長・成功の奇跡というものがあったのではないかな、と思えてきて、ダンのこれまでの軌跡を正当化する、というか褒め称えたい気持ちが私の中に芽生えてきたのです。ダンは、ファイナルシーズンで、恋人のセリーナに対して酷い仕打ちをして、他の仲間たちに散々非難された時にこんなことを言っていました。「これをやって、はじめて奴らは俺のことを恐れた。対等になれたと思った。」他にも、「自分がゴシップガールの登場人物になれば、自分も彼らの世界に一緒に存在することになれる。」など。

手の届かない世界に近づくために、時には非難されても遠慮せず、非情に目的を達成する。それによって、結局仲間たちも彼のことを認めたし、彼の目的も達成されました。ダンの軌跡は褒められたものではありませんが、環境とか、周りの目とか気にせず、欲する事柄のためには、非情になって結果を出す、「家事がー育児がー、お金もー」などといいながら、結局行動せずに不満ばかりを溜めていた自分には、そのダンの軌跡に苛立ちを感じつつもなんだか、ガツンとやられて背中を押されるというか、不思議なエールを送られた気持ちになりました。その10、庶民出身ダンの下克上物語、この記事でお伝えしたい最後のゴシップガールの魅力です。

そして、ゴシップガールを観終わった私はこれからどうする?(興味のある人だけ)

2022年の年明けから今まで、余暇の時間は殆どゴシップガールに捧げてきました。ゴシップガールを観終えたあと、深い感動に包まれ、その感動を整理するために、記事まで書き残しました。さて、私はこれからどうしたらいいのでしょう。

ゴシップガールから、私は、以下のことを改めて感じました。

・思う存分周りを振り回してもがきながらも自分が願う姿に向かって進むことのよさ

・母親という役割に囚われすぎない、子供を個人として尊重する、子供はちゃんと親を見て反面教師にしたり見本にしたり、子供なりに咀嚼して成長する

・庶民だってやればできる。庶民だって、女だって、ワーママで時間がないからって、人脈もないからって、やればできる。

・いい顔しているだけじゃなにも得られない。

・ガラッと変わって、ゴシップガールだけじゃなくて、日本の連ドラも含めてドラマ楽しいわ。

 

しばらく忘れてましたが、私は元々こんなスローガンをうちに秘めていたことを思い出しました。「元気があればなんでもできる。元気がなくてもなんとかなる世の中を。」

でも、このスローガンに向けた自分のちょっとしたアクションに対する反応が得られなかったこと、育児と仕事で忙しいこと、自分の体調不良などを原因にしばらくこのスローガンから遠ざかる、遠ざける生活を送っていました。

相変わらず何かにコミットできるほどの目標も自信もないし、作る気もないのですが、改めて、私は自分に「元気があればなんでもできる。元気がなくてもなんとかなる世の中を。」の言葉を送りたい気持ちになっています。

そして、このスローガンに、赤字の言葉を加えたい気持ちにもなっています。

「元気があればなんでもできる。元気がなくてもなんとかなる世の中を。何もしなくても楽しみを。

 

この半年で私は学びました。本当に、人は生きているだけでいい、と。他人から一方的に傷つけられていい人間などいない、と。生きているだけで、何もしていないことを恥じる必要はない、と。自分が生きていることは、自分が思う以上に、誰かにとって価値がある場合が多いし、無理に何かをしようと思わなくていいのだと。ただ、生きること、それをあなたが心地いいように楽しめばいい、それが自分勝手でもいいし、大抵の場合それは自分勝手にはなっていないのだ、と。ただ、どんな状態であっても生にしがみつく、いいところをみつけようとする。それは唯一私という生命に課された使命である、と。

 

なんだか、自分が思っていたよりも、書いていたら抽象的な結論になりましたが、ゴシップガールという楽しみが終わり、またその鑑賞時間から解き離れた今、ただ心地よく生きることを追求してみようと思います。

 

そして最後に、ゴシップガール、超おすすめなので、楽しみを見つけたい人にはいい選択肢の1つだと推薦します!

東京で家を買うシリーズ:前回エントリーから半年超経過、これで決まるか

早くも、10月も終わり、前回のエントリーから半年超。時が進むだけで、何も進展していないし、自分自身も変わっていない(むしろ退化している?)現状に改めて驚嘆、絶望、諦め、なぐさめ。

自分はさておき、子供達はそれぞれ6歳と3歳のままだけど、小学校生活に慣れて一人帰りもたまにできるようになったり、トイレで用を足せるようになったり、それぞれ成長していてとても素晴らしい。

 

私は、というとどうだろうか。まあ、可もなく不可もなく?なんだか体力は落ちた気がする。サラリーマンとしての仕事は少し慣れてきたけど、まだまだ道半ば。電子工作とか、NFTとか、文章とか、手芸とかは、道半ば、というか放置しすぎてとても再開のハードルが高くなっている。

そして、タイトルの家問題。相変わらず高い、高いと言っている間に、半年たった。まあここはいい、焦って決めるべきではない。

目下この1ヶ月気になっているのは築55年の古屋、土地の広さはまずます、古い。

この家で、よりよい未来をつかんでいきたい、家族と思い出を刻みたい、と思いつつ、まだ決めきれない部分もある。

さて、どうなるやら。

 

元気があればなんでもできる、元気がなくてもなんとかなる。

東京で家を買うシリーズ:その3 軽い気持ちで都内でマイホームを探し始めたら想像以上にメンタルやられている件

早いもので上の子6歳、今春小学校進学。下の子3歳。私は在宅勤務1年経過。

現在の住居は70平米程度の都内のマンション、そろそろ手狭になってきた。

この地域での暮らしのことは大分状況も理解できているし、割と住みやすいし、そろそろマイホームでも検討しようか。

そういう軽い気持ちで、手軽な戸建てで有名なOHに問合せを開始したのが2月。現在3月中旬。この1ヶ月強、予想以上にマイホーム探しは私のメンタルを浸食している。

まあ、理由は、一言でいえば金。手ごろな価格設定で有名なOHの物件でも、この面積で予算オーバー?この面積だと予算の30%上乗せ?

という感じで、全く自分たちの希望する予算で、希望する面積が手に入らない。

希望と現実の乖離が甚だしいという現実に直面する。

そうやって自分たちが希望するものが手に入らないとわかると、なんだか近所を歩いていてもいやらしい目で街をみてしまう。

「ああ、ここは大きい車も入るから、土地も高いんだろうな。」「この辺の古い家、取り壊して沢山売ってくれないかな。」「あの子達の家は10年前に買ってたからいい値段で変えて今は高くなっていていいな。」など、どんどんないものねだりかつ他人を妬ましくなるようなさもしい気持ちになる。そんな気持ちの時に、新聞や雑誌で社会課題を解決する起業家の記事などをみると、とてもみじめな気持ちになったりもする。

まあこういう、希望に対する現実の乖離に直面することで自分の身の程をいやというほど知って、他人と比べて自分と足りないところを余計意識してしまう、そういう思考がメンタルを削っていく。

そして、今後も紹介してもらえるよう不動産会社には愛想よく返事をしながら、やんわり毎回希望とは違う物件を断り続けることも、地味に辛い。

とはいえ、希望の家を手に入れるための予算アップは相当に自分たちにプレッシャーを与えることになると考えられ、決断できない。

そんな八方塞がりで、じゃあ株で一攫千金狙ってやるか!と在宅勤務中にサボってトレードするも、チキンな私は大博打もできず、却って売った直後に株が値上るなど、金金金という気持ちでは投資方針もぶれまくる。

 

いや、すごいなマイホーム買ってる人。こんな心の逡巡を乗り越えて決断をしたのか。

現実との折り合い、自分の優先項目・欲望をきちんと理解する、不動産と交渉する、決断する、家自体の安全性や資産性も考慮に入れる、結構なハードワークだわ。

それでマイホーム買った後に転勤とか、発狂ものだわ。だけど文句もいかず転勤とかいく人すごいわ。

 

土地の値段推移をみると、10年前から20%くらいあがってるんだよね。。100円のものだったら20%なんてたいしたことないけど、家だからね、この10%とか20%とかの上昇がマイホームをもちたい庶民にとってどれだけ痛いことか。。

 

あー、なんか買える範囲に下がってくれよー、買いたいよー、大切に住むからさ買える範囲の値動きになってくれよー。

 

なんか、うまくこんな状況だけど、頑張って乗り越えよう的にまとめたいが、まだまだそんな心境にもならず、現実を直視して折り合いをつけている状況は続いている。

とりあえず、子の小学校進学もあるし、少しおやすみをしよう。でもみちゃうー。

 

すぐに手段が目的となってしまう現象にどう対処するか

ストレンクスファインダーによると、競争心が強い私は、自分の手になんとか負えてそこそこ自分の性にあっていると思われるタスクが与えられると、一刻も早くそれを終えようと猪突猛進に向かいがちになる。

本業の様々なタスクしかり、何かの目標のためにもっと欲しいと思って始めた投資しかり、住宅購入の検討しかり。

どれくらい猪突猛進になるかと言うと、普通は3日かかるタスクを1日で終えようと、昼休みを忘れるくらい、株式の検討をしはじめて、深夜まで起きて延々調査し続けるくらい。

エクセルで簡単なグラフや表を作るくらいの、難しすぎず、適度に考える部分と単純作業的に手をかけるバランスがとれるようなタスクが目の前にあると、ついつい没頭してしまう。

決して悪いことではない。悪いことではないのだが、この心地よい緊張感を感じている対象は、本当に自分がやりたいことなのか、そこに時間をかけるべきなのか、という不安がよぎることがある。

例えば、今日だとWTOトップについたナイジェリア出身のオコンジョイウェアラ氏の使命感や職務に対する圧倒的自信ある発言をみて。

小銭稼ぎや生活のための仕事をすること、それは全く卑しいことではない。ていうかそれがないと生きていけない。

だけど、やっぱり自分の青臭い思いと苦しいながらも向き合って、進んでいく、それもまた正しい気もするし、そういう作業を毎日積み重ねていかなければとも思う。

 

 

子供が優等生的行動をとらない場合に親が感じる弱者感とその対処法について

今年の4月に上の子が小学校に進学する。成長が嬉しい反面、大いに心配である。

自分を落ち着かせるために、何が心配なのか、じっくりと考えてみたい。

 

まず、上の子の性格や特徴面から。

・3月生まれかつ体質的に体が小さい。

・親がいないと物怖じすることがある。

・勢いにのると、結構活発になって、あまり言うことをきかない。

・嫌なことがあると、やや過剰に怒る、中々機嫌が直らない、泣き続ける。

・意外と大人の考えていることは繊細に機微に感じるし、結構辻褄があわないことについて積極的に指摘する。

 

 そして、私の小学校に対するイメージ

・保育園では割と一人ひとりの性格に合わせて決定ができたが、小学校はもう少し集団生活で、異論や規律の乱れは受け入れられにくい。

・慣れなかった場合、学校側が慣れるのを待ってくれたり、子供にあった過ごし方を検討してくれる、というよりも、合わせられない=悪いと決めつけられがち。

・保育園は、「健全な心身の発達のため、子どもの自主性を尊重し自由に育てたり、教育の中でも特に日常の生活習慣などの指導といった「保育」を行う「児童福祉施設」(親の代わりに就学前の子どもを保育する)」なのに対して、小学校は完全に教育機関なので、担任の先生の指導方針に合わない子供には辛そう。

 

まあ、要は場所見知り、繊細、でも結構我が強めの我が子が、小学校に馴染めず、かつ馴染めなくても誰にも寄り添ってもらえず、でも通ってもらわないと困る、という点に関して心配しているのである。

 

先日、入学前診断で、そういう不安が少し現実化した。

事前に我が子が認識していなかった耳鼻科、眼科、歯科の検診。検診を受けなければいけないと知るやいなや、泣き叫び、逃亡する我が子。見渡す限り他の子は普通に泣きもせずに列に並んで、大人しく検査を受けている。

誰も助けてくれないし、先生もなんなら「他の子が怖がっちゃいますから教室の外で泣いてください」といって、我が子を少々邪魔者扱い。

ちゃんと検査をうけるように、必死に我が子を説得する私。なんでこの子だけと。。

 

でもな、結局こういう状況で一番辛くなるのって、納得してない我が子を無理やり外部の圧力によって納得させないといけないことなんじゃないのか、と漸く我が子を授かって6年経とうとするこの時期に気がついてきた。

 

だから、我が子が小学校に入ってから、馴染めなくて、泣き叫んだり、小学校に行きたくない、学童に行きたくない、となったときに、子供を説得する前に自分も少し立ち止まって考えた方がいいな。

「この説得は、説得して子供がその状況を受け入れないと、この子が困るからなのか。それとも周りが皆そうだから、やったほうがいいと思うのか。それを受け入れてもらわないと、親である私が仕事をやめないといけないほど大変だからなのか。」と。

考えてみると、耳鼻科も眼科も普段生活で困っていることもないし、無理やりあそこで集団検診を受けなくても問題ないことであった。

 

学校に行きたくない、はずっと続くと困ることではあるけど、回数を決めてたまにゆっくり休むのはいいかもしれない。

 

出来るだけ、子供の意思を尊重する。尊重する余裕を親は捻出する。

それだけで、結構心の荷は軽くなるような気がしてきた。

 

よし、新小学生の皆に幸あれ!

 

 

禁酒して改めて考えた日本社会の生産性の低さと社会人になってからの学びについて

タイトル通りなのですが。。

 

先日、インターンシップという20年以上セールス一筋でキャリアを積んできた中年男性二人組が若者に混ざってグーグルのインターンに参加して、新しいキャリアを目指す、という内容の映画をみました。

www.amazon.co.jp

そこで感じたのが、アメリカの学生たちの就職競争の厳しさ。おそらく神童とか天才とか言われてきて、実際に名門大に在籍し、高いプログラミングスキルをもった若者たちがグーグル入社のわずかな席をかけて熾烈な競争を行う。。

グーグルだから、ということもあるのかもしれませんが、気になって海外の学生の就職事情を調べてみたら、日本よりも遥かにシビアですね。

marketer.jp

 

そうでない学生も沢山いると思うのですが、2007年に学部生で大学を卒業した自分を思い返すと、東京に舞い上がり、バイトとお酒で生活リズムがすぐに崩れ、お酒を飲み、授業にはほとんど出ず、大した専門知識を身に付けぬまま、新卒一括採用制度にあやかって適度な素直さと元気よさ(本当はめっちゃ根暗)をアピールして、就職。。

インターンシップの映画でみたような、就職段階ですでに即戦力となる技能をもつ教育を終えた学生たちと比較すると、あまりにも生産性が低かっただろうと言わざるを得ません。

入社してからは基本的にOJTで仕事を覚え、数年たって独り立ちして仕事を行っていく。会社の規定に大きく違反することがない限り、仕事でたとえ成果がでなくても解雇となることはなく、適度に空気を読んで、言われたことをこなしていれば、そこそこ順調に昇進して快適に過ごせる。

余暇は同期や上司と飲みに行ったり、適当に暇を潰したり。。お客さんとお酒を飲んで仲良くなれば、そこそこ買ってくれる。。

 

日本の労働生産性はOECD加盟国37か国中21位と、低いことで有名です。生産は主に社会に存在する企業活動から行われると考えると、この低さは効率の問題とか色々要因はありつつも、根本的には効率が悪いやり方でも何だかんだ許されて、なんとかなってしまう、なんとかしてきた社会構造にあるのだと思えてきます。

 

私は上記のように新卒入社で日本の大企業と言われる企業に10年以上勤めてきました。もちろん知力体力魅力3拍子そろった素晴らしい方々もいましたが、大体は正直普通(自分と同様あまり自己研鑽には時間をかけていなくて、そこそこ目の前の仕事をして周りとうまくやっている能力は結構高めな方々)、出世から外れてしまった50代社員の一部に至っては毎日ネットサーフィンで座っているだけ(それはそれで辛いと思いますが)という方々も多く見受けられました。

ある意味、とても恵まれた環境ですし、そういった環境でも企業として存続できるのはある程度日本国内の市場規模が大きかったり、競合も似たり寄ったりの状況だった、という要因があったからなんだと思います。

 

そして、奇せずして、本日東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会会長である森氏の女性蔑視発言が話題、大問題となりました。

森氏の人間性や、実際何を内面で考えているかは脇において、3日に1回程度新聞に目を通せば、あのような本当に不愉快でグローバルトレンドから取り残された発言が許されざるべきものであり、非常にナンセンスであることは理解できるはず。

彼は、年功によって得た居場所にただ単に居続けて、その立場であれば行うべき最低限の職務意識さえも身に付けることを怠っていたのでしょう。

これが1回目でなく、何回目であったとしても、彼がそれなりの地位にいれるという事実は、上述した日本社会の何だかんだ変わらずにダラダラしてても許される風土そのものを現しているようです。

 

イノベーションは、数ある試行錯誤の中から生まれるといいます。そして数ある試行錯誤を行うには、それなりの労力がかかります。

 

大学は入るのが大変で、出るのは簡単、海外に比べると比較的高い就職率で就職できて、滅多なことをやらかさなければ定年まで働ける、そんな人材が揃った組織で、果たして結構難儀なイノベーションへの試行錯誤を繰り返したり、今までの非効率を変えて生産性を上げて新たな価値を生み出していこうと推進することができるでしょうか。

私には、かなり危機的な状態にならないと中々そのような取り組みは生まれにくいだろうと考えます。

 

とはいえ、日本もこのコロナ渦と少子高齢化、日本の相対的な競争力の低下により漸くこのままじゃ本当にやばい、と変革に舵を切りだした企業も多く出てきました。

(変革に舵を切っているのか、明確に変革に向けた準備ができないまま、非常に低い生産性を持つ従業員といった余計なものをまずは削ぎ落とし始めた、区別がつかない例もありますが。)

 

ただし、変革の結果が出るには時間はかかるだろうな、と思います。

私は禁酒をして1年たって、やっと自分がいかに無知であるかを思い知らされている段階に入りました。基本的な科学、哲学、政治、宗教、経済の素養がない(単語くらいは知っているけど断片的)、どこから手をつけようか、何が今自分に必要か、がなんとなくわかってきて、これから自分のあり姿のために手を動かしながら学ぶべき内容について大体目星がついてきた状態です。

多分、これくらいだったら、漸く戦える土俵にあがれるな、という状態になるにはあと2年はかかるでしょう。

私は、長年の最大の習慣であり、悪習慣であった飲酒をやめることで、ようやくこの状態になりました。

 

日本企業はオーナー企業でない限りトップは数年で代わります。そして在任中の業績が続投するかどうか、後継指名に影響力を及ぼせるかどうかに関わってきます。

いくらトップが改革を押し進めようとしても、任期中に業績が思う通りにあがらなければ、一過性のものとなりかねない。

つまり、変革は組織のすみずみまで意識として行き渡らないといけない、そしてその意識は飲酒した人が禁酒してその人なりの80%以上のストイックさで取り組む程度の高いものでなければならないでしょう。こうした意識が社会全体に広がるのは結構難易度高いと思います。

 

とはいえ、あと日本が先進国の末席から目に見えて後退するのにも、数年の猶予はある。

気づいた人はこの間自分の思い描くあり姿に向かって淡々と禁酒なり、自分がやるべきと思っていることを継続して、やっていけば個人としては十分生き残っていけるだろうなと思います。そして、決して短期成果を目指さず長期目線で続けるのが大事だなと思います。(自戒)

 

今自分が学生だったら起業という選択肢は一旦おいて、就職、どうするかな。日本の大企業は国際社会で戦えるビジネス戦闘力でいうと、即効性にかけるし、日本のベンチャーは(勤務経験あり)大企業に比べるときついノルマの割に得られる経験に偏りがある。

そこそこ学生時代に学んで、GAFAMのような成長性あるIT系か国際企業の日本法人に就職して、本国だと普通に入るのは難しそうな本社への異動を目指す、結構これが堅実な進路な気がしています。

だから私は日本の政治について本気で考えてみた〜その壱 私が考える理由〜

2020年の年初、コロナ渦が世界を覆う前に私は1年間の禁酒を自分に誓った。

思えば、私は18歳で上京してから、酒に飲まれていた。何度か変な事件や事故にあってもおかしくないくらいの飲み方だった。(実際に危ないことは何度かあった。。)

子供が生まれても飲酒習慣は続き(妊娠中は泣きながら我慢した)、子供が生まれたことによる仕事と育児家事の忙しさで全く時間に余裕がない日々だった。

例年のように、年末からお酒をたらふく飲み、ボーッと1月2日に箱根駅伝をみながら「ああ、そういえば新年だから今年の抱負でも考えるかね」と考えた瞬間、「でもどうせ抱負とか新しいことを始めようと思ったところで、時間もないし絶対叶えられないし、やれないでしょ」と心の中で打ち消した。

その瞬間、何となく人として、親としてどうなのかという悲しさ、焦燥感が生まれた。人生100年時代、あと65年間も自分を諦めて生きていく現実と向き合うなんて、辛すぎる。

「何も新しい目標を立てる気力がないのであれば、せめて自分の悪習を断ち切ってみてはどうか。例えば禁酒とか。とりあえず1年間。」自分で自分を諦めている現実を悟った直後に、こんなアイデアがふと思い浮かんだ。2020年1月2日のその瞬間から、私は禁酒を開始した。

そして、目標の1年を経過し、今後も基本的に禁酒をしていこうと決めている。

1年以上の禁酒生活と共に、コロナ渦は経過していった。その中で、シラフの頭ではもちろん、酔った頭で考えてもこの決定おかしいでしょ、という決定が次々と行われていくことを目にした。

2020年3月に突如として発表された全国一斉休校、布マスク配布(総額500億円超で20年に日本で大ヒットした鬼滅の刃の興行収入300億円を遥かに超える)、感染リスクが高いと言われる複数人での飲食を促進するgo to eat キャンペーン、相次ぐ政治家による複数人での会食報道、この記事を書いている現在(21年1月16日)全く感染も医療崩壊も収束の目処が立たないにもかかわらず、オリンピックを実現するという方向性、整合性の合わない桜を見る会説明(というか明らかにおかしいでしょ)、それらに対する説明責任を放棄したとしか思えない要領を得ない説明、などなど。

10数年振りにシラフの頭で聞いていると、年間100兆円超というトヨタの1年間の純利益の50倍超の膨大な予算配分を決定し、500人以上の国会議員、省庁職員等々を抱える結構な規模の運営体として、そしてその決定が与える影響力を考えると、現在の政治体制がもたらす意思決定プロセスにはかなりの欠陥があるんじゃないかと、いやが応にも感じられるようになった。こちらは、2人の幼子を抱えるフルタイム勤務のワーママでそんなことを考えることに時間を使いたくない。国会議員は選挙で選ばれて多くの給料も税金から支払われているのだから、その分長期的によりよい未来になる様にしっかり仕事してくれよ、安心してこっちはこっちの生活をさせてくれよ、政治に関する疑念とか抱かさないでくれよ、そう思う。でも残念ながら、現実はその願い通りではないように思える。

このまま「これじゃない感」の意思決定が繰り返されたその先に、自分の愛すべき子供達がより暮らしやすい日本になっているのか、甚だ不安だ。

だから、私は日本の政治について本気で考えてみたい。

もちろん、今感じている不安が調べた結果杞憂であることがわかって、全然大丈夫だった、という結論であることが一番望ましいし、楽だし、安心して私も子育てと仕事に専念できる。でもそうではないのであれば、その原因を自分なりに探り当てて、自分なりの提言を考え、それに向かったアクションを微力でもとっていきたい。

 

私にとって理想の日本の未来はこうだ。「元気があれば何でもできる。元気がなくても何とかなる社会。」第一子が生まれ、自分よりも遥かに大切な存在に出会った時、この子が生きていく社会はどんな社会がいいんだろう、と思った時に浮かんだ言葉だ。

(元気があれば何でもできる。はみなさんご存知のアントニオ猪木さんの名言。ほんと名言)

我が子だけではない。我が子だけ何かしらうまくやって、物質的にも精神的にも満足な状態で暮らしていって、保育園で出会ったこれまた愛すべきお友達の誰かが物資的、あるいは精神的に不満足な状態からどうにもならない状態で過ごさなければならないのだとしたら、そしてそれが一定程度の確率でよく起こってしまうのであれば、それは悲しい社会だ。

だから、元気があれば何でもできる、だけではない。元気がなくても何とかなる社会も担保されていること、これが私にとっての理想だ。

 

社会的に何のインパクトも有しない中年主婦が描く社会への理想、なんて誰も興味がないと思う。うん、ないよね。。ないない、、(でも私はあなたの信条を聞くことに興味があるし、それを話してくれたことでもっとあなたのことが好きになるタイプだ。それに皆がそれぞれ当たり前の様に社会の理想を語れるって結構素敵な世の中なんじゃないかと思うよ。まあ現実的ではないけどね。)

多分、これから日本の政治ついて自分が書いていく中には、絶対にこの信条に基づいたバイアスのかかったリサーチ、原因考察、提言が入ってくるので、最初に記載が必要な前提条件として書かせてもらった。

 

なにぶん、この10数年間酒を飲みすぎて、自分のこの信条が資本主義、社会主義、自由主義などのどの思想に入るのかわからない。でも社会主義のように聞こえるけどそうではない。元気があればなんでもできる、はどちらかというと資本主義。元気がなくてもなんとかなるは社会主義より。多分、それを混ぜ合わせた北欧主義、というものなのだと思う。ということで、これからの記載は北欧主義の私が日本の政治について本気で考えてみた、という前提付きで読んでもらいたい。

最後に、これから本題に入るにあたり、なぜ私が書くのかに関するエピソードをひとつだけ。

 

愛する娘が3歳の誕生日を迎える少し前、ベッドに並んで寝る私にこう尋ねてきた。「ねえ、ママ、3歳のあとは何歳になるの?」「4歳だよ。」「じゃあ4歳のあとは?」「5歳だよ。」「5歳のあとは?」「6歳だね。」「じゃあ6歳のあとは?」x20くらいのやりとりを繰り返したあとに、娘は少し考え込み、そのあとパッと顔を輝かせてこういった。「ねえ、ミツ(娘の仮称)これからそれに全部なれるの?」そこには、生に対する眩しいまでの全面的な肯定が宿っていた。「うん、ミツ全部なれるよ。ママ全部お祝いするね!ミツ、一緒に元気でいようね!」言いながら、私は何だか泣きそうになった。

そして、この子の生に対する全面的な肯定にこれからも一点の曇りがないように、強く願った。

そのために、私はこの子たちが育つ環境の中で大きな要素の1つである日本の政治についてこれから本気で考えるのだ。

 

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