ミセス・パッパラのシラフの日常

35歳で始めた禁酒をきっかけに、映えないけど光さす日常を満喫中

35歳に禁酒を始めて新たな人生を謳歌している中年ワーママが映えないけど満足した日々を綴ります。

日常で感じるちょっとした疎外感と居心地の悪さについて_馴染みの店とは

私は、中年にもなって少し痛い自意識を持っている人間なんだと思う。人と接することに苦手意識がありながら、人と親しくしたいという気持ちは持ち、でもどうにも直せない自己中心的かつ気の利かない言動で、接する人に違和感を与え、その違和感を感じた相手の表情を機敏に感じて、また失敗してしまった、ああ、やっぱりダメだ、と勝手に落ち込む。いや、そもそも相手は自分のことなんて全く眼中にもない可能性もあり全てが妄想なのかもしれない。それなのに勝手に自分が相手の中にある自分自身の存在を過剰評価してしまっている。どっちが本当かわからない。どっちの可能性も考えて、結局自分だけがいつも空回りしているように感じる。だから一人がいいと思うけど、人恋しい、そんな痛い自意識を持った映えない中年だ。

なので、よく人とのコミュニケーションにおいて疎外感を感じる。勝手に感じてしまってすみません、という感じなのだけど。

コロナ渦による在宅勤務の開始で、近所のお店を開拓する機会が増えた。近所を散策すると、魅力的な個人経営のお店が多く、在宅勤務が1年近くともなると、気に入ったお店を大体ローテーションしていくような形に落ち着いてきた。

お店の接客スタイルも様々であるが、大体は、毎回ランチ一人利用ということもあって、「いらっしゃいませ」「1名です」「すみません、○○(メニュー名)お願いします」「ごちそうさまでした。」「ありがとうございます。(接頭詞に「いつも」がつく場合もあり、そのときは内心嬉しくなる)」というような礼節のある機会的なやりとりに終始する。

一方で、来店の度に非常にホスピタリティ豊かに接してくれる場合もある。

例えば、1週間〜10日に1回程度の頻度で行く夫婦で経営する大変美味しい洋食店があるのだが、フロアを統括する奥様が非常に高い記憶力を武器に、プロフェッショナルなホスピタリティで毎回迎えてくれる。これは、私にだけでなく、来店する全ての客に対してである。どんなに忙しくても、すべての客に対して毎回、食事が終わり、客が店を出ていく時には、出口にたって、「ありがとうございました。寒いですから気をつけて帰ってくださいね。」などと、一言二言コミュニケーションを取って送り出してくれる。

こういった素晴らしいコミュニケーションと料理自体が美味しいお店なので、常連客もちらほら見受けられる。

常連客の中には、釣り銭に困らないように10円を毎回多めに持ってくる人、気安く世間話をして場を沸かす人、ディナーにも頻繁に顔を出し、諸々貢献している人、などただのたまに食事を食べる客以上に店に貢献をしている客も多い。

そして、本心はどうかわからないが、そうした常連客に対して経営者夫婦も温かな笑顔、より気安いコミュニケーション、融通を利かしたメニューの提示など貢献に対するgive行動を示している。

素晴らしい関係である。素晴らしい関係であるからこそ、出来るだけ問いかけに気のいい返事をすること、「美味しかったです。ごちそうさまでした。」といった立ち去り側の一言は必ず言うこと、釣り銭で困らないように出来るだけ細かいお金で支払うこと、など一般的なお店との関わり以上に心がけつつも、基本的にたまに食べにくる客の一人にすぎない私は、「ああ、私はただたまにランチ食べにくるだけ」と少し自分の存在に後ろめたさを感じてしまうときもあるのである。

そして、他の定期的に通う比較的機械的なやりとりしか交わさないお店よりも、いい客であろう、好ましい客という印象をもってもらおう、という意思が働くのか、利かない気を使おうとして、やや気疲れしてしまう。(勝手に私がやっているだけの話なのだけど、そんなことをいってしまう自分にまた後ろめたさが。。)

たまに、食後のコーヒーに菓子をつけてくれたり、常連からもらったであろうミカンをくれたりする。そんなとき、温かさと、少し常連認識をされたのか、とこのお店のコミュニティに属することができたかのような気持ち良さを感じるのだけど、自分よりも他の常連客と親しげに話すオーナー夫婦をみると、ああ、私の存在はそれほどでもないか、と寂しく居心地の悪い気持ちに引き戻されるのである。

 

考えてみると、このような嫉妬と他者と比べることによる居心地の悪さと比べてしまう後ろめたさは私の場合、至る所で感じるのだが、これってやっぱり自分自身の問題であるのだよな。

他者の存在と比較しないと自己を確立できない未熟さとか、他者よりgiveしてもらはないと納得できない器の小ささとか。

あ、また疎外感と居心地の悪さを感じてきたので、このくらいにしておこう。

 

そして、当該お店にはまだまだ通わせてもらい、この疎外感と居心地の悪さの行末を見守ろう。

 

 

pappara84