ミセス・パッパラのシラフの日常

35歳で始めた禁酒をきっかけに、映えないけど光さす日常を満喫中

35歳に禁酒を始めて新たな人生を謳歌している中年ワーママが映えないけど満足した日々を綴ります。

禁酒してから変わった子育てに対するスタンス

上の子が生まれて5年、下の子が生まれて3年、子供が少しずつ成長してきたというのもあるけど、この半年間くらい大分子育てに対して、割と気楽な気持ちになってきた。(とはいえ、来年上の子小学生で、そんな悠長なことを言っていられるのは今だけかもしれないけど。)

やっぱり、これも禁酒の影響が大きいのかな。。

 

上の子が生まれた5年前から1年くらい前まで、私は自分より遥かに大切で尊いと思える存在をどうやって守って行ったらいいのか、守っていく力がなくて、不安だった。

子供に何かあったときに何とかできるコネも金も技能もない。

何もかもが中途半端で、酒を飲んで早起きもできず、朝はいつも切羽詰まった状態で登園準備をさせ、酒を飲んでて体力もないから仕事、家事育児でヘトヘトで殺気だっている、もちろん多分笑ったりしている時もあったんだろうし、子供にとって常に怖くはなかったと思うのだけど、私は常にこの愛しい存在たちに何もしてやれない、何もできない無力感みたいなものを常に感じていたし、自信がなかった。

我が子と同世代の子供が出来ていること、経験していることを我が子が出来ていなかったり、経験していなかったりすると、焦ったり尚更自分がダメなように思えていた。

 

禁酒をして1年間が過ぎた。

まず、目標の1年を本当に飲酒をせずに、乗り切った。

その間、いくつか趣味でやり始めたこともあるし、33歳で飛び込んだIT業界から同じIT業界内で転職もして、何とかしばらくやっていけそうな感触を得ている。

 

シラフの日常は、豊かな発見に溢れている。

禁酒をしてから私は1年歳をとった。

ただ、1年前より確実に若返っている。

禁酒前の若かりし日々よりシラフの日常になって体験したこと、インプットした知識のほうが、確実に自分の血肉となって知恵が増えたと感じている。

 

それに、悩むことが減った。相変わらず怠惰だが、少し行動量が増えた。自己肯定感は高まっていないが、まあ自分に自信をもつというよりも、普通の自分の現状を受け入れて、今の特段映えない日常を心から楽しめるようになった。

禁酒から1年経ち、今私はこう実感している。私は35歳の禁酒開始から新たなスタートを切っているのだ、と。これは間違いなくいいスタートで、禁酒は私がここ何年かの間で自分に関して行った決断で最良のものだ。

 

人生の岐路にたつ、進路を決めるのは、人生100年時代、子供時代だけではない。子供時代の決断や進路も大切だけど、もっと大切なのは、自分自身に対して諦めないこと、諦めたとしても、それをずっと継続しないこと、なんだと思う。

いつ、どこで、何が起きるかわからない。親が100%安全な方法や一般的にいいと言われる方法でも自分の子供がそれに満足するかもわからない。

 

と、考えると、親が一番すべきことというのは、子供自身を信じることなんだという気がしている。子供が自分に対して諦めたときでも、また子供が自分を信じてくれることを信じる、というような。

 

では、どうしたら自分を信じる、という気持ちになるのか。

それは最終的には楽観的になれる心の持ちようが大きいんじゃないかと思う。

「ああ、本当自分だめだわ、くずだわ、どっかいっちゃえばいいんだわ。ああどっかいっちゃおう。」と思った時に一方で「まあ、でも仕方ないよね。仕方ない仕方ない。そういうときもある。そうじゃないときもある。」と思えるような。

じゃあ、どうしたらそういう思考回路になるのか、といったらそれはやはり経験とか習慣とかなのだろう。ある種の思考の癖とか口癖のようなもの。

 

そう考えると、親としては、自分自身が日々いい現実も悪い現実もみる、そうしたときにどっちに関しても酒でそのときの感情の動きを曖昧にするのではなく、淡々と現実を受け止める、悪い時には「まあ、そういうときもある」とする、泥酔して楽しい逃避をしてぐるぐるその場を堂々巡りする、などせずに、少し自分に優しく、いつもより体を休めながら物事を粛々と進めようとする、そのような姿勢を子供に見せることが、親が子供の自分を信じる気持ちを育むことに繋がるのではないだろうか。

そして、子供自身がいい現実も悪い現実もみたときに、過度に過剰移入をせずに、淡々と「そう、いやだったね、そういうときもあるよね。でもきっと大丈夫」といった共感、緩やかな楽観姿勢を伝え続けることなのではないだろうか。

そして、楽観的に自分は自分の現実を受け入れ、豊かに過ごし、子供自身が自分で色々やろうとする意志を見守ること。

 

と、考えると、親があまり積極的にあれこれ気を回し続けるのもよくない気もするし、そこまで重要視しなくていいような気もして、生来怠惰な自分は、少し楽観的な気持ちになるのである。

pappara84